ホームにもどります! 写眞館のトップにもどります ご意見ご感想をお寄せください。
みずがき写眞館
序 章
歴代学校長(敬称略)
代位 名前 在任期間
初代 石田静 昭和63年4月1日〜平成元年3月31日
2代 鷹巣英三 平成元年4月1日〜平成3年3月31日
3代 戸島保仁 平成3年4月1日〜平成5年3月31日
4代 皆川みさを 平成5年4月1日〜平成8年3月31日
5代 浅川高治 平成8年4月1日〜平成10年3月31日
6代 野中敏男 平成10年4月1日〜平成13年3月31日
7代 野一廣 平成13年4月1日〜平成15年3月31日
8代 一之宮和英 平成15年4月1日〜平成17年3月31日
9代 保坂新次 平成17年4月1日〜平成20年3月31日
校章
 本校の「校章」は昭和62年12月11日、(当時)須玉町役場で行われた「校章選考委員会」において、応募総数53点の中から選ばれました。
 「広報すたま」昭和63年1月号に原案者の方の校章についての説明が掲載されていますので、それを紹介いたします。
 「増富小学校の省略の左右に金峰山、瑞牆山。中央にラジウム温泉を表すマーク。下に塩川ダムの断面を図案化した観光地とともに発展する事を表しています。」
増富小学校開校までの経緯
 増富小学校は旧北小学校と旧東北小学校の統合により昭和63年4月1日に開校しました。
 旧北小学校、旧東北小学校はともに昭和38年9月9日に開校し、昭和63年3月31日をもって閉校しました。
 両校の閉校は児童数の減少、および塩川ダム建設に伴い、北小学校を含む塩川地区がダム湖底に沈むことによるもので、両校とも24年半の歴史に幕を下ろしました。
 旧北小学校の児童数は、開校した昭和38年度が最も多く全校で250人を数えましたが、昭和49年度に100人を下回り、以後、減少を続け、最終年度は23人となりました。
 一方、東北小学校の児童数は、北小同様、開校した昭和38年度が最も多く全校で158人いましたが、天使園の閉園とともに児童数が減少し、昭和44年度に100人を下回り、以後減少を続け、最終年度は全校児童が5人となりました。
校歌 こちらをクリックしてください。
ご覧になりたい年度をクリックしてください。
序章 昭和63年度 平成元年度 平成2年度 平成3年度 平成4年度
平成5年度 平成6年度 平成7年度 平成8年度 平成9年度 平成10年度
平成11年度 平成12年度 平成13年度 平成14年度 平成15年度 平成16年度
平成17年度 平成18年度 終章
みずがき写眞館オープン 2004-05-17